もちは毎朝5時から鳴き始める。つり目の強気な顔に似合わず、にゃーにゃーと哀れっぽい声で鳴く。寝室のある二階ではなく、ごはん皿や水やトイレのある一階から声を上げる。トイレもきれいにしてあるし、カリカリもたっぷりあるし、水だってあるのだけれど、彼は、カリカリの上に缶詰をのせてほしいし、水じゃなくてお湯がほしいのである。さらにトイレも見守ってほしいのである。
わたしは布団をかぶって無視を決め込む。人がいないときはカリカリだって食べるし、冷たい水も飲めるのだから、朝5時に起きることを習慣づけさせたくない(…とは思っているが、毎日どうせ起こされるのだから、もう諦めて朝5時から布団を出て活動したほうがいいかもしれないと、これを書きながら思えてきた)。
どれだけ鳴いても人間が降りてこないとわかったもちは、やがて仕方なくひとりでカリカリを食べ、水を飲み、トイレをして(やればできるのだ)、タタタタタと音を立てて階段を駆け上がってくる。そして寝室に入ってきて、またにゃーにゃーと鳴く(ちなみに寝室のドアはもちが出入りするために閉め切ることができない。エアコンもつけられない)。
近くで鳴かれるとさすがに無視はできないが、ここまで来たならあとは簡単だ。体を横にして掛け布団を持ち上げ、おいでおいでと言うと、頭から布団の中に入ってくる。やわらかい毛がわたしの顔をくすぐっていく。もちは中でくるりと向きを変える。そして背中をわたしのお腹にくっつけて寝転がる。もちが落ち着いたのを確かめて、持ち上げていた掛け布団をそっと降ろす。しばらくはこれで静かになる。お腹にやわらかな温もりを感じながら、わたしは二度寝する。
気がつくと、しろは再び一階でにゃーにゃーと鳴いている。いつの間に出ていったのやら。それでも根競べに勝つのはいつもわたしで、布団から出ずに知らんぷりを決め込む。諦めたしろはまたとたとたと二階に上がってきて、布団の中にもぐりこんでくる。
ちなみにわたしは睡眠を計測できるスマートリングをつけていて、目が覚めるとスマホと同期して実際の睡眠時間を確認する。布団にいた時間ではなく、本当に眠れた時間が表示されるので、それが6時間を超えるまでは布団を出ない。猫との攻防を繰り返すわけだ(…とはいえ、眠りは細切れになるし、いっそ早めに起きて早めに寝たほうがお互いのためかもしれないとも思い始めている…)。
8時を過ぎたころ、ようやくわたしも布団から出る。裏起毛のフリースパンツと厚手のソックスを履き、上はニットセーターにユニクロのシームレスダウンを羽織る。室内でダウンとはどうかとも思うが、軽いし、エアコンをつけっぱなしにすると乾燥がひどいし、長年の在宅ワークが行き着いた最適解だ。東京の古い借家は、エアコン一台ではとても太刀打ちできない。
一階に降りるとしろが待ち構えている。早く早くと急かすしろに、まず缶詰をあげる。食べ終わると、今度はお湯だ。またせっかちに鳴くしろに、給湯器からお湯を注いでカップに入れてあげる。その間にわたしは自分のコーヒー用に電子レンジでカップ一杯の水を温める(カップ一杯ならガスで沸かすより省エネらしい)。コーヒーはこだわりの豆を試した時期もあったが、手軽で安ければ何でもいいという結論に落ち着き、業務用スーパーで買った大容量のインスタントコーヒーを常備している。あまりおいしくはない。パンをトースターに入れ、焼けるのを待つ間に郵便受けをのぞきに行く。
ダイニングは寒いので、二階の自室のデスクにコーヒーとパンを持ち込む。しろもわたしの後をついて一緒に階段を上る。しろが部屋に入ったら扉を閉める。仕事用デスクの下には筒型のパネルヒーターが置いてあり、デスクチェアには電気ひざ掛けが敷いてある。朝だけエアコンをつける。
早く早くと急かすしろを体でブロックしながら、電気ひざ掛けの上に腰を落ち着け、パネルヒーターに足を差し込み、ひざ掛けの余った部分を膝の上にかける。これで準備完了だ。しろが待ちかねたとばかりにその上に乗ろうとする。しろはもう年寄りなので、ぴょんとジャンプして乗ることはできない。足場を探してよじ登ろうとするので、脇から支えて持ち上げてあげる。
しろは細身だが全体的に大きい。膝の上で丸まるとはみ出して落ちそうになる。足を広げてバランスをとってやる。重いし姿勢もなかなかつらいのだけれど、この上なく幸せそうにゴロゴロ言いながら眠るので、できるだけ寝心地のよいベッドを提供してあげようという献身的な気持ちになる。
ただ、わたしがオンライン会議で話し始めたり、後ろの棚から書類を取り出したりしてごそごそ動き始めると、居心地が悪くなるらしい。しろは立ち上がり、デスクに乗り、低い本棚を伝って、使わなくなった先代のデスクチェアへ移動する。そのチェアには電気座布団が敷いてあり、常にスイッチが入っていて、いつでもしろが暖を取れるようにしてある。
そのままひとりでしばらく眠っていることもあるし、またひざの上に戻ってくることもある。電気座布団も電気ひざ掛けも温かさは同じだし、ひとりのほうが落ち着いて眠れるはずなのに、わざわざひざの上にやってくるのがいつも不思議だ。生存本能とは別に、さみしいとか、甘えたいとか、好きとか、そういう感情が猫にもあるとしか思えない。言葉も通じない、種も違う生き物が、わたしを慕ってくれている。そのことを思うと、何だかありがたいような気持ちになる。
わたしに向かって一生懸命鳴くしろの毛は真っ白で、右目と左目で色が違う。緑と青だ。どちらの色もどこまでも澄んでいて淡い。わたしはその瞳によく見惚れてしまう。しろの鳴き声はどんどん大きくなる。こんなに訴えているのになぜわかってもらえないんじゃー!としろは思っているかもしれない。
人間というのはわかっていても動かない生き物なのだ…ということを知る由もない、どこまでもピュアなしろの瞳を見ていると、少し罪悪感も湧いてくる。今夜からは早めに寝て朝5時にさっさと起きてあげようかな…などと思った。わかっていてもできないんだけど。
